矢谷古墳 (国指定・史跡) 三次市内
東酒屋町松ケ迫にある。 弥生時代中期末から古墳出現前まで(1世紀~3世紀)の「四隅突出前方後方形墳墓」と呼ばれる特殊な墳丘墓。 古墳出現前における地域社会の在り方・特に吉備と出雲との交流を示 す遺跡。 2基の方形周溝墓。 古墳時代後期の窯跡もある。
立久恵峡 (国指定天然記念物)
天に向かって聳え立つ奇岩が連なっている絶景の場所。 清流に沿って2kmにわたり高さ100㍍~200㍍の岸壁がそそりたっている。 九州の耶馬渓に似ているので「山陰の耶馬渓」と云われています。 左岸に「神亀岩」「烏帽子岩」「ろうそく岩」がある。 I927年(昭和2年)に国の天然記念物に指定される。 下流にかかる「不老橋」から「浮嵐橋」の間は遊歩道がある。
「西谷四隅突出型墳丘墓」(出雲市大津市西谷)
1953年 (昭和28年)墓27基 (その他土塊墓・石棺墓)を発見。 1~4号6号9号の6基が四隅突出型墳丘墓だった。 その内3号・9号が大きかった。・ 出雲地方の当時の支配者の奥津城。 初期の四隅突出型墳丘墓に比べ、突出部が拡大している。
「石官神社」(宍道町白石本郷)
国道9号から南にⅠkm。 鳥居の両側に巨大な石。 ご神体の石は下記の 「出雲風土記」に記載のある「石になった犬 (大石)」と云う。 一説では白石 (山の中)にある 「夫婦岩」の方と云う説もある。 出雲国風土記には[宍道町と玉造温泉との間に「白石」あり、広い谷を南に 1キロ。丘陵地の端に白石神社がある。 鳥居の両側に 「猪岩」石段の上に 「大石」がある]と。
「須我神社」 雲南市大東町須賀
ご祭神 須佐之男命・稲田比売命・清之陽山主三名狭漏彦八島野倉。
縁起 簸の川上に於いて 八岐大蛇を退治した須佐之男命は稲田姫と共にこの須賀の地に至り、美しい雲の立ち昇るのを見て、 「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」 と歌い、日本で初めての宮殿を造り、鎮った。 これが記・紀に記載されている「須賀宮」であり、日本初之宮で もある。三十一文字の歌も日本で一番古い歌であり、この地が 「和歌発祥の地」の曲縁でもある。 この歌の中の 「出雲」が出雲国名の起源とされる。
磐座 神々の宿る八雲山(御室山)の中腹にそそり立つ三石 (夫婦岩) 大中小三つの磐座は、古代における須賀神社の奥宮。
「神原神社」(加茂町神原)
式内社で、風土記の 「神原社」に当たる。[大国主命 (大穴特命)が神宝を積んでおかれた所) 往古は赤川の北岸に鎮座していた。そこは低地だっ ので西南の対岸に移された。 神原神社古墳は4世紀中頃の南北34米・ 東西30米・高さ3米の方墳。その上に本殿が建薬されていた。 赤川の改 修で社殿は南方5O米の現在地に移動。 弥生時代に比べ赤川の川底は10 米は上昇している。
神原神社古墳は山陰地方では数少ない「竪穴式石積石室」で、鉄剣・鋤・エ 具・等鉄製品が出土。 景初三年 (239)銘の三角縁神獣鏡が出土した。 国重文。 l982(昭和57年)赤川の改修工事の時、「景初3年 (239)= 卑弥呼が鏡100枚を賜った年」の銘のある銅鏡が出土した。 長さ5・8米の長い竪大石室。
「飯石イィシ神社」(三刀屋町多久和)
三刀屋川の上流1kmで飯石川(風土記では飯石小川)と合流。付近には縄文遺跡の宮田遺跡あり。 飯石川右岸に鎮座。
出雲国風土記には「伊毗志都幣イビシッヘ命」がご祭神。 この神が降臨して村を造ったので飯石イィシは、昔はイビシと云っていた。 風土記以外には記載のない神様。社伝では「出雲の国造の祖・天穂日命の子・ 武夷鳥タケヒナドリ命と同一神。 出雲国道家の祖神」
例大祭では出雲大社の宮司が参向する。 郡名もこの神様から。
ご神体は 「高さ3尺4才・形は飯を盛る形。背の丸い自然石で長径2・7米・ 短径2・4地上露出部分1・2米」 この磐の付近から明治時代に古代祭祀用・手打高杯が出土。